坂村 健/東大教授 |
「時代の風」より |
天秤の時代
以前シンガポールで、在留の日本企業の方に「これすごいですよ」と見せられたのがたばこのパッケージ。スリーブ上のケースから引き抜いて、その方が見せてくれたのが――持ち歩くのに不透明のケースに入れたくなるのもわかる、ほおが切除されて歯茎がむき出しになった頭部のカラー写真。添えられた「口腔がんの92%はたばこによるものです」という赤字のメッセージ。
聞くと、写真とメッセージにはいろいろなバリエーションがあるが、基本的には政府指定でメーカーは必ずそれをパッケージの上半分に印刷しなければならないという。
後で怖いもの見たさでのぞいたたばこ屋は、黒ずんで崩れ落ちそうな歯茎、腫瘍に侵されたのど、死産した奇形の胎児……というホラービデオの陳列棚もかくやという惨状だった。
そこまでするのは、いかにも清潔国家のシンガポールらしい――と思っていたのだが、同様の強制的な法律が、自由の国・米国ですでに成立しており、来年の9月から施行されるというから驚いた。
調べてみると、写真入り警告は2000年にカナダで導入されたのが最初で、すでに40カ国以上で実施という。写真の過激度はいろいろとしても、決してシンガポールが特殊ということではない――というか、この製作が徐々にグローバルスタンダード化しているようだ。
米国では連邦政府や州政府とたばこ産業の訴訟の歴史は長く(政府とはたばこ産業が大量の和解金を払うことで一応のケリはついているが、大量の個人からの損害賠償訴訟や集団訴訟はいまだ係争中)、両者が大量の研究者と多額の研究予算をかけて争っている。その過程で疫学的なたばこの害については、ほぼ異論の無いところまで研究しつくされているといっていい。
ニコチン自体は非常に強い神経毒で重量当たりの毒性は青酸カリの倍以上というが、当然のこととして喫煙ではそれを直接摂取するわけではなく、相当量を一度に吸わない限り急性中毒にはならない。喫煙の被害はむしろ、燃やした煙に含まれるタール等の発がん性物質によるものだ。その影響は「何年以内に、がんになる可能性を何%上げる」という、がん発生確率の上昇という形で表現される。
あくまでも、発生確率であって100%ではないから、生涯たばこを吸ってもがんにならない人もいる。逆にたばこを吸わなくてもがんになる人もいる。アスベストなどたばこ以外の要因もある。しかし、大きな人の集団で見るなら、たばこを吸う人と吸わない人で、がんになる確率が確実に上がることが、疫学的に判明しているということだ。
ところで、このがんの発生確率の上昇というと、最近ではすぐ思い浮かぶのが「シーベルト」だろう。シーベルトは放射線が人体に与える影響の強さ。低い値の領域ではそれはほぼがんの発生確率の上昇という形で表れる。核種や内部被ばくか外部被ばくかという違いはあっても、その違いをおしなべて影響の強さとして一律換算するのがシーベルトであり、その意味ではたばこの硬化をシーベルトで換算することも可能なわけだ。
それによると、たばこを毎日1〜9本吸う習慣は生涯で肺がんになる確率を4.6倍にし、これは3.4シーベルトに相当するという。ちなみに問題になっている放射線の一般年間許容量が1ミリシーベルトだから、単純計算なら3400年分。実数で言うと厚生労働省の推計で年間20万人弱がたばこにより死んでいるという。
しかし、むしろ問題なのは受動喫煙だろう。配偶者が喫煙者の場合、非喫煙者でも生涯でがんになる確率が1.02〜1.03倍で100ミリシーベルト相当。年間許容量100年分。結婚生活を40年と見れば許容範囲という考え方もあるが、実数だと交通事故死と同程度というからバカにならない。合理的と考えれば、これはもう「脱たばこ」が当然だ。
しかし、人間にとって求められるものは何なのかを考えるとすべてが「合理性」で片付くわけでもない。感情も重要になる。それはつまり、単に生き残るだけでなく、どう生きていくかを考えるのが人間だからだ。「人の命は地球より重い」というが、その天秤にさらに重いものとして「個人の自由」などを据えるから現時点でたばこは許されている。せいぜいできることは、パッケージの写真と警告で個人の自覚を促す程度。
結局は「すべての何より大事」という絶対的なものは「人の命」を含め存在しないということだろう。すべてを天秤に乗せて判断していることにかわりはないのだ。
すべてがあれを立てればこちらが立たずという話――だから、これが「絶対正しい」という楽な判断はありえない――そういう天秤の時代に、残念ながら我々はいきているのである。
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