前回、校正印刷工場の作業者に胆管がんが多発している問題を取り上げましたが、特定のがんが特定の職業に従事する人々に頻繁に起こることは、200年以上前から知られていました。最も有名なものは、ロンドンの煙突清掃作業員の「陰嚢(いんのう)がん」です。
18世紀、英国で始まった産業革命によって、多くの工場が石炭を燃やして動力を得るようになりました。それらの工場では孤児などの貧しい少年が煙突の「すす掃除」に従事していました。その少年たちの股に多量のすすがこびりつきますが、陰嚢の皮膚は深いしわの多い部位のため、シャワーや入浴もままならない少年たちの陰嚢のしわに、すすが長時間たまってしまったのです。その結果、彼らが成人になったとき、陰嚢に皮膚がんが多発してしまいました。
1775年、ロンドンの外科医パーシバル・ポットは「煙突掃除人の陰嚢がん」という論文を発表しました。そこでは、若い年齢で発生する陰嚢がん患者は幼少時から煙突掃除をしていることが多いこと、煙突掃除期間、つまりすすがたまる期間と発がんに関連があること、掃除後に体をよく洗った人ではがんは少ないことを挙げ、すすが陰嚢のしわに残り、長く皮膚を刺激したことが陰嚢がんの原因であろうと推測しています。
さらに、陰嚢がんができるまでに約10年以上かかること、煙突掃除をやめても、陰嚢がんはできることも記しています。この点は、現代のたばこによる発がんでも全く同じことが言えます。
これは特定の物質が、発がんの原因であることを示す最初の研究となり、1788年の「煙突掃除人保護条例」を実現させました。また、すすと陰嚢がんの関係にヒントを得て、東京大病理学教室の山極勝三郎教授は、すすに含まれるコールタールをウサギの耳に毎日塗り続け、1915年、世界で初めて人為的にがんを作ることに成功しました。がんの発生を確認して詠んだ「癌(がん)出来つ 意気昂然と 二歩三歩」の句が有名で、病理学教室には、今もモニュメントが残っています。(中川恵一・東京大付属病院准教授、緩和ケア診療部長)