Lesson8
エコノ探偵団

健康志向でもなぜ?

「ニホンハ、ヘンダヨ!」。米国人女性が飛び込んで来た。街でたばこを吸う姿が目立ち“嫌煙先進国”から来た彼女には気になるという。探偵、深津明日香は「健康ブームなのに、消費が激減したとは聞かないわ」と首をひねった。「確かに不思議だ。たばこ増税案も話題になっている」と所長が調査を命じた。
紫煙誘う 出店規制緩和
広告・販売店も増える
税収絡み煮え切らぬ国

男性は比率低下
たばこの販売総額(税込み)は1999年度に最高の4兆2600億円に達した。販売数量は、89年度以降、増え続け、96年度に3483億本を記録した後、増税の影響で減り気味。明日香は「増税がなければ、横ばいという感じね」と思いながら、厚生労働省を訪ねた。

生活習慣病対策室長補佐の正林督章さん(38)が国民栄養調査の結果を説明してくれた。「先進国で最悪といわれた男性の喫煙率は年々下がっています。86年には喫煙者は60%でした。英米の3割未満に比べると、まだ高いですが99年には49%まで下がりました。問題は?」

「女性の喫煙率ね!」。明日香の指摘に正林さんはうなずいた。「新生児が小さくなる傾向があり、喫煙が問題と憂慮しています」。女性は86年の8.6%から99年は10.3%に上昇。中でも20代の女性の喫煙率は一時20%台に急上昇した。

「働く女性が増えて、ストレスがたまることが原因かしら」と明日香が推測を交えて事務所に連絡すると、同僚の加江田孝造が「いや、もっと背景は根深いと聞いたぞ」と協力を買って出た。

未成年が2割弱
孝造は嫌煙運動をしている「禁煙ジャーナル」編集長の渡辺文学さん(64)を訪ねた。開口一番、渡辺さんは「主因は、違法の未成年喫煙の増加です」と指摘、データを示した。日本たばこ産業(JT)が公表している毎年の成人男女の喫煙者数と平均喫煙本数から計算した総喫煙本数は、総販売本数には遠く及ばない。

「その差は未成年が購入した分です」と渡辺さん。78年に推定60億本強だった未成年者の購入は年々増え、96年には10倍近い600億本に達した。全体の2割弱は未成年が買っている計算。思春期に習慣がつくと依存が強くなりがちで、若い女性の喫煙率上昇の一因ではという。

「それには広告の影響もあるのでは?」。連絡を受けた明日香は、たばこ広告を調べている鳥取大学助教授の尾崎米厚さん(40)に聞いた。

自主規制でテレビは98年4月から製品広告は一切流さなくなり、広告も減った。ところが、「未成年の目に触れやすい媒体や電車の中づりが増えている」(尾崎助教授)という。中高生も読む雑誌12誌のたばこ広告の総ページ数は99年には87年の約3倍に増加、中づりも急増していた。

一方、孝造が、たばこの販売ルートの変化を探ろうと小売店の業界団体から資料を取り寄せると、意外な事実がわかった。

「販売店が増えている。これはナゾだぞ」。99年度の販売店数は約30万軒。風当たりが強まる中でも増え続けており、85年度より4万軒近く多い。

孝造はJTの執行役員、松永康正さん(52)に聞いた。「増えたのは主にコンビニです」との返事が返ってきた。「なぜ増えたのかな。確か、たばこの販売は許可制のはずだが」
政府は98年に許可基準を見直し、出店規制を緩和した。それまで新規出店は毎年度8千軒前後だったが、98年度には一気に1万軒を超した。「なるほど、これじゃ、買いやすいわけだ」
コンビニはアルバイトが多く、販売相手の年齢確認を怠りがちだと、警察庁などは昨年末、確認徹底を業界団体に要請した。孝造はさらに質問した。「それでも、自動販売機で簡単に買えますね」

松永さんは「現在、たばこ販売の6割は自販機なのです」と説明する。「自販機を撤去して対面販売に戻すのは負担が大きく難しい。代わりに、ICカードで本人確認して販売する新型自販機を2008年までに全国に広げる考えです」

「広告があふれ、買いやすい。未成年に買ってくださいと言わんばかりです」。事務所で2人が報告すると所長が「政府は放置しているのかな」と聞いた。

ふらりと現れた何でもコンサルタントの垣根払太が割って入った。「こうした状況の背景には政治の問題があって、たばこ消費を減らすような動きにつながりにくいのさ」と説明し始めた。

妙案増税に反発

払太は未成年者の喫煙抑制策を説明した。「増税などで一気に値上げすることだ」。国立公衆衛生院の主任研究官、望月友美子さんは、値段を倍にすれば、未成年者はたばこを買えなくなり、喫煙が激減、税収ももっと増えると試算している。「カナダはそれで未成年喫煙の減少に成功した。だが、日本ではうまくいきそうにないな」と表情を曇らせた。

約2万3千戸のタバコ農家をバックにした政治の壁が立ちはだかっているからだ。折りしも、政府は来年度以降の税収確保を狙ってたばこ税の増税を検討中。先月開いた小売店の全国大会には代理も含め238人もの国会議員が出席。増税に反対して、気勢を上げた。
「それが変なのよ」。明日香は財務省の姿勢を調べた。「増税で税収が増えて、うれしいはずの財務省の態度も煮え切らないの」「きっと大幅に値上げすると、たばこの消費量が激減して税収が減るので困る。だから、ほどほどの増税で満足しようというのが本音じゃないかしら」と推理した。

「現在、世界保健機関(WHO)のたばこ枠組み条約の交渉が進んでいるんだけど、その中で、日本は屋外自販機の撤廃につながる条文には反対を申し立てたのよ。ICカードなどによる本人確認は可能だと言って。財務省の意向が働いたって聞いたわ」

「つまり、財務省もたばこ消費が減ると困るわけか」。

孝造はひざを打った。「わかったぞ。女性の喫煙を助長し、未成年が買いやすい環境が整っている。その上、政官民の思惑があってなかなか煙が減らないんだ。そこが広告規制の厳しい米国や重税で価格を上げた欧州との違いだな」

たばこを吸わない所長がうなった。「うーん、健康志向が広がっても喫煙が減らないわけだな。それに、未成年の喫煙を減らすには、販売方法や税制も含めて、社会全体で方策を考え直す必要もありそうだな」

「ヤッパリ、ニホンハ、ヘンナクニネ。コンナコトデハコマリマス。イツマデタッテモ、コクサイカデキマセンネ」。依頼人はあきれ顔。大声でまくし立てると、足早に出て行った。ぼうぜんと立ちつくす所長に、夫人の円子が聞いた。「ところで、調査料はもらったの?」。「し、しまった」。飛び出そうとする孝造の背に、明日香がつぶやいた。「ナゾがたばこだけに、煙(けむ)にまかれたわけね」

(経済解説部 摂待卓)

日本経済新聞 2001/12/9