喫煙と健康問題に関する報告書

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第一部 喫煙の現状

 喫煙習慣が世界的に普及していった時期は明確ではないが、コロンブスらの大陸発見以後といわれている。わが国には元亀、天正の頃、ボルトガル人の渡来により伝えられたといわれる。

 わが国の成人喫煙率は、男の場合は、昭和41年の83.7%を最高に、昭和61年には62.5%にまで低下している。これに対して女の場合同じく昭和41年18.0%を最高に、以後15%を前後し昭和61年は12.6%と低下しているが、若年の女の喫煙率は増加している。喫煙者の約70%は、「禁煙したいと思って」喫煙を続けている実態も示されている。
行財政という視点から喫煙問題をみると、明治9年煙草税則、明治29年には葉煙草印紙税法が制定され、さらに明治31年葉煙草専売法、ひき続き明治37年煙草製造専売法が公布され専売体制がすすめられ、現代の民営化にいたるまでの基本をなしている。

 一方、「未成年者喫煙禁止法」が明治33年に公布されている。

 たばこ製品の生産消費をみると、製造量はここ10年間ほぼ同一の約3000億本であり、1人当たりの紙巻たばこの年間消費量は、昭和50年以降約2600本でその後もほぼ一定している。

 昭和60年度の国たばこ消費税は8837億円で、国家一般会計の約1.6%を占めている。一方地方たばこ消費税は、同年で約8645億円となり地方財政歳入の約1.6%を占めている。

 喫煙に関連する社会問題のひとつとして火災の問題があり、「たばこ」が、主要原因となっている。

 戦後においては、たばこと健康問題がしだいに重要な関心事となり、昭和39年には厚生省児童局長通知および公衆衛生局長通知が出され、未成年者の喫煙防止と国民保健の立場から喫煙の健康に及ぼす害についての啓蒙普及を要請している。その後は、昭和46年専売事業審議会成分表示等答申、昭和55年喫煙と健康問題に関する衛生教育について公衆衛生局長通知、昭和59年医療機関における喫煙場所の配慮に関する医務局長通知などが出されている。また、昭和61年には小学生を、62年には中学生を対象にした、禁煙教育の手引書が作成されている。

 喫煙の健康被害に関する研究等は、内外から報告されているが、喫煙対策という視点では、昭和39年2月にわが国政府から報告された、「喫煙の健康に及ぼす害について」が重要であろう。その後の研究としては、昭和54年以来続いている、健康づくり等調査研究委託費に基づいた「喫煙と健康に関する調査研究」や、環境庁の委託研究による「禁煙指導に関する調査研究」、さらに昭和32年より開始されている専売公社の委託研究報告書などがある。

 喫煙問題に関する教育問題としてWHOは、保健医療関係者の教育、一般大衆の教育、そして、子供に対する教育の3点について考察している。学校教育で用いられる喫煙に関する教科書の研究報告では、「喫煙と健康に関する教育の重要性がいくらか認識されてくるようになっている」という。

 喫煙に関連した国際協力としては、WHOを基軸にしたものが主要である。一方、学会や民間の健康関連財団でも世界的レベルで喫煙対策を推進している。

 わが国での喫煙対策に関する市民活動グループは、昭和61年9月現在で49グループ、会員数約10万人になっている。

 

1.歴史的背景

 地上の産物である煙草が人間の生活にいつ入ってきたのか定かでない。煙草の種子は小さく、成熟期には草丈1.2〜2.0mとなり、その生育は実に旺盛なものである。これらの野生の種子が人工的に改良され、今日の煙草として日常生活に入ってきたのには長い年月を要している。

 1492年、コロンブスがキューバ島で住民の喫煙習慣のあるのに驚き、これを報告している。さらに、1494年から1500年の第2次、第3次報告において、南アメリカ沿岸で噛みたばこ習慣のあることを伝えている。中南米地域において、どのような理由により、かような風習が生まれ、どのように伝えられてきたかについては今なお謎とされていることが多い。

 煙草という植物がスペインに伝えられ、以後ポルトガル、フランス、イギリスへと煙草葉が送られ、喫煙習慣はその後急速に広まっている。1559年ポルトガル、リスボン駐在のフランス大使のジャン・ニコがフランス女王ガザリンに煙草の乾燥葉を献上した。ニコチンの名はそこから発しているといわれている。

 イギリスは煙草の栽培適地としてアメリカ大陸のバージニア、北カロライナに産地の拡大を行い、煙草の販売による税がイギリスの主要財源となった。

 わが国には元亀、天正の頃、ポルトガル人の渡来により伝えられたといわれている。慶長の初期に栽培が始められ、指宿、出水、あるいは長崎付近に栽培され、以後非常な勢いで栽培が北上するとともに喫煙習慣が伝播している。

 煙草は、「延命草」「反魂草」「仁草」と称される反面、「毒草」「貧乏草」ともいわれ、しばしば喫煙禁止の令が出され処罰等が行われたが、喫煙の習慣は止むことなく今日にいたっている。

 天明時代の横井也有は『鶉衣』で次のように記している。「夜道の旅のねぶたきとて、腰に茶瓶を携えられず、秋の寝覚めの淋しきとて、棚の餅にも手のととかねば、只この煙草の友となること琴詩酒の三つにもまさるべけれ。」また、文化12年の『北そう瑣談』には、「或人の話しに煙草は慶長10年南蛮国より種を渡せし。漢土へ渡れるのも大抵同じ比とぞ。始の程は火災のおそれありとて、官より禁じられしかど、其禁終われて、今にては飲食につぐものとなれり。」と記している。

 また、わが国における喫煙と健康に関しての記述がされたのは、貝原益軒の『養生訓』(正徳3年:1713年)が最初のものであろう。ここには、喫煙の健康被害や中毒性のことおよびその根本的対策としての防煙の重要性が示されている。「姻草(たばこ)は性毒あり。姻をふくみて、眩い倒るる事あり。習へば大なる害なく、少しは益ありといへ共、損多し。病をなす事あり。又火災のうれいあり。習へばくせになり、むさぼりて、後には止めがたし。事多くなり、いたつがはしく家僕を労す。初めよりふくまざるにしかず。貧民は費多し。」

 明治以降、近代国家として行財政を体系化するにあたり、煙草問題も新たな展開をみた。明治9年、煙草税則が定められるとともに、明治13年には東京岩谷商会により「天狗煙草」が発売され、さらに明治24年に京都村井兄弟商会が「サンライズ」、27年には同会が「ヒーロー」を発売している。このような煙草の栽培製造販売を通じ喫煙習慣が拡大していく過程において年少者喫煙も一般化する傾向をみせた。明治26年、学習院長により学習院の禁煙令が出されるとともに、明治27年には文部大臣により「小学校ニ於テ生徒ハ喫煙スルコト及煙器ラ付帯スルコトラ禁ズベシ」との訓令が出された。

 煙草行政としては明治29年に葉煙草印紙税法が制定され、さらに葉煙草専売法が明治31年、引き続き明治37年3月31日煙草製造専売法が公布(実施同年7月1日)され専売体制がすすめられ、現代の民営化にいたるまでの基本をなしている。

 一方、禁煙活動も展開され、健全なる青少年の育成を目的として明治32年「幼者喫煙禁止法」案が提案され、それが「未成年喫煙禁止法」と改め、明治33年3月7日公布、4月1日施行されて現在にいたっている。また、同年には鉄道営業法も施行され、停車場や車内での吸煙禁止が定められている。未成年者喫煙禁止法の全文と、鉄道営業法の抄を掲げておく。

未成年者喫煙禁止法(明治33年3月7日 法律第33号)
  〔未成年者の喫煙禁止〕
第1条 満20年ニ至ラサル者ハ煙草ラ喫スルコトヲ得ス
  〔没収〕
第2条 前条ニ違反シタル者アルトキハ行政ノ処分ヲ以テ喫煙ノ為ニ所持スル煙草及器具ヲ没収ス
  〔親権を行う者及び監督者に対する罰則〕
第3条 未成年者ニ対シテ親権ヲ行フ者情ヲ知リテ其ノ喫煙ヲ制止セサルトキハ1円以下ノ科料ニ処ス
・親権ヲ行フ者ニ代リテ未成年者ヲ監督スル者亦前項ニ依リテ処断ス
  〔販売者に対する罰則〕
第4条 満20年ニ至ラサル者ニ其ノ自用ニ供スルモノナルコトラ知リテ煙草又ハ器具ヲ販売シタル者ハ10円(8千円)以下ノ罰金ニ処ス

鉄道営業法(明治33年3月16日 法律第65号)―抄―
第34条 制止ヲ肯セスシテ左ノ所為ヲ為シタル者ハ十円(二十円以上四千円未満)以下ノ科料ニ処ス
一 停車場其ノ他鉄道地内吸煙禁止ノ場所及吸煙禁止ノ車内ニ於テ吸煙シタルトキ
ニ (略)

 戦時体制下における煙草配給制度の発足は、ある意味で喫煙拡大の傾向をもたらしたとの意見もある。戦時体制下と戦後の混乱期における煙草葉の不足は、代替葉の活用や、辞典等に用いられていたインデアン紙を利用した手動煙草紙巻きあげ器などが、一般家庭に入り込む事態をもたらした。この間において、わが国で広く栽培されまた野生していた大麻をたばこ代替に使用しなかったことはきわめて重要なことであり、これは国民のもつ生活習慣のある種の英知であり注目に値するものがある。

 戦後においては、たばこと健康問題がしだいに重要な関心事となってきている。昭和39年には厚生省児童局長通知および公衆衛生局長通知が出され、未成年者の喫煙防止と国民保健の立場から喫煙の健康に及ぼす害についての啓蒙普及を要請している。また、昭和42年、中学校学習指導要領改正により、保健体育に飲酒喫煙問題が取り上げられた。昭和46年、第4回消費者保護会議にて、たばこの中に含まれているタール、ニコチンなど有害成分の表示が方向づけられている。また、昭和46年の専売事業審議会成分表示等の答申をふまえた国会審議を経て、昭和47年からは、たばこ包装に「健康のため吸いすぎに注意しましょう」という注意表示が行われるようになった。昭和51年からは、国鉄新幹線こだま号に禁煙車が設けられている。昭和53年、国立病院、国立療養所での喫煙規制に関する通知が出された。昭和53年、国内航空機、国鉄連絡船内に禁煙席が、昭和55年からはひかり号に禁煙車が設けられている。さらに昭和55年、喫煙と健康問題に関する衛生教育についての通知、昭和59年、医療機関における喫煙場所の配慮に関する通知などが出されている。一方、昭和61年には小学生を、62年には中学生を対象にした、禁煙教育の手引書が作成されている。

 戦後の日本国内における喫煙対策の主なものを、まとめて以下に示す。

昭和39年喫煙と肺がんに関する会議
昭和39年1月児童の喫煙禁止に関する啓発指導の強化について、
厚生省児童局長通知(児発第60号)
昭和39年2月喫煙の健康に及ぼす害について、厚生省公衆衛生局長通知(衛発第68号)
昭和42年4月専売公社、たばこ煙中のニコチン・タール量発表
昭和45年関係各省連絡会議
昭和46年3月専売事業審議会、成分表示等の答申
昭和47年4月たばこ包装に、吸いすぎ注意表示
昭和51年8月こだま16号車禁煙
昭和53年4月喫煙場所の制限について、
厚生省医務局国立病院課長、国立療養所課長通知(病第58号)
昭和53年6月国内線航空機に禁煙席設置
昭和53年7月国鉄連絡船に禁煙席設置
昭和55年3月喫煙と健康の問題に関する衛生教育について、
厚生省公衆衛生局長通知(衛発第233号)
昭和55年10月ひかり号に禁煙車両設置
昭和57年11月 国鉄特急列車の大部分に禁煙車両設置
昭和59年4月医療機関におけるたばこの煙に関する配慮について、
厚生省医務局長通知(医発第335号)
昭和61年3月公衆衛生審議会喫煙と健康問題に関する専門委員会設置(厚生省)

 

2.喫煙率

(1)成人
 日本専売公社(現日本たばこ産業株式会社)の「全国たばこ喫煙者率調査」によれば、1958(昭和33)年からのわが国成人の喫煙率は、図・・1-1(略)のように推移している。男の場合は、1966(昭和41)年の83.7%を最高に漸減の傾向を示し、1986(昭和61)年には、62.5%にまで低下している。これに対して女の場合、同じく1966(昭和41)年の18.0%を最高に、以後15%前後を上下し、1986(昭和61)年には12.6%となっている。
   図・・1-1 日本における喫煙率の年次推移(略)

 一方、喫煙率を年齢段階別にみると(図・・1-2(略))、男の場合、20歳代、30歳代の喫煙率の低下は比較的小さいのに比べて、40歳代以降の喫煙率の低下が著しい。これに対して女の場合、50歳代以降の喫煙率が著しく低下しているのに比べて、20歳代は逆にかなり増加しており、年齢段階によって喫煙率の推移には大きな違いが見られる。

 わが国の喫煙率を欧米各国のそれと比較してみると、男の喫煙率が高く、女の喫煙率は低い、というわが国の特徴がいっそうはっきりしてくる(図・・1-3(略))。
   図・・1-2 年齢段階別の喫煙率の年次推移(略)

 喫煙率は、文化や経済などさまざまな要因の影響を受けるといわれているが、欧米各国の喫煙率は一様に低下してきている。たとえば英国の場合、1972年から1982年の間に男は52%から38%に、女では41%から33%に低下している。また米国の場合、1966年から1975年の間に男は52%から39%に、女は34%から29%に低下している。このように各国の喫煙率は、わが国に比べ、より急速に低下している。
   図・・1-3 世界各国の喫煙率の比較(略)
   図・・1-4 喫煙経験率(略)
   図・・1-5 喫煙率(略)

(2)未成年
 未成年の喫煙率に関する全国的な規模の調査は、これまでのところわが国で無作為抽出調査は行われていない。しかし、一部の地域で実施された2、3の調査(図・・1-4(略)、図・・1-5(略))によれば喫煙経験率、喫煙率ともに調査によってかなりの開きがある。その理由としては地域差、学校差のほかに、調査方法や喫煙行動に関する質問内容の違いが考えられる。成人喫煙者の多くは十代のうちに喫煙習慣を身につけていることが推測される。

(3)社会階層別
 英国王立内科医学会の報告によれば、1958年から1975年にかけて、社会階層別の喫煙率には著しい差が生じた(図・・1-6(略))。男では、社会階層1、2(上位)の喫煙率が急激に低下する一方、社会階層5(下位)では変化がみられなかった。女では社会階層1の喫煙率のみが低下した。
   図・・1-6 社会階層別男女の機会巻き紙巻たばこの喫煙率(1958-1975)(略)

 わが国における東京都民の収入階層別たばこ出費額比の経年変化に関する調査によれば、収入階層の上位は、下位に比べてたばこ出費額が低下する傾向にある(図・・1-7(略))。

 日本たばこ産業株式会社の調査によれば、職業によっても喫煙率に差がみられる。最も喫煙率の高い職業は、男女ともにセールスマン・サービス業従事者であり、最も喫煙率の低いものは、男では管理職・自由業であった。
   表・・1-1(略)に示すように、わが国男性医師の喫煙率は、一般成人男子に比べて低い。
   図・・1-7 勤め先収入階層世帯別たばこ出費額比の経年変化(略)
   表・・1-1 医師と喫煙(男)

 しかし、図・・1-6(略)の英国男性医師の喫煙率と比較すると、わが国では男性医師の喫煙者はまだ多いといえる。職業集団のうちで医師の喫煙は、人びとの喫煙行動に与える影響の大きさという点で重視される。

 

3.喫煙に対する意識

(1)喫煙開始の動機
 喫煙開始の動機について調べたいくつかの調査によれば、「好奇心」あるいは「なんとなく」をあげるものが大半であり、「友人の影響」がそれに次いでいる。たとえば、大学生を対象とした村松らの調査によれば、男子の約50%、女子の約70%が「好奇心」をあげている。また、同じく大学生を対象とした皆川らの調査でも、「なんとなく」「好奇心から」「友人が吸っているのをみて」「大人や友人にすすめられて」の順となっている。

 青少年の喫煙行動は、彼らの周囲の人びとの喫煙行動と関連があることが明らかになっている。たとえば、中学生を対象にした小川らの調査によれば、喫煙する親、兄姉、親友をもつ中学生は、そうでない中学生よりも喫煙経験率が高かった(図・・1-8(略))。同様の結果は、中・高校生を対象とした川畑らの調査、高校生を対象とした野津の調査でも得られた。
   図・・1-8 家族・親友の喫煙と生徒の喫煙経験(略)

(2)喫煙者の行動や性格
 村松は、女子学生を対象として喫煙行動と日常生活行動様式の関係を調べ、喫煙者は非喫煙者に比べて、飲酒をし、外出を好み、芸能誌やCMに対する興味が強いことを報告している。成人男子を対象とした小川らの調査においても、村松と共通する結果が得られているが、小川はさらに、喫煙者の性格が非喫煙者に比較して外向的であると報告している。

 また、渡辺は、大学生を対象として、人格変数と喫煙行動との関連を調べた。それによると病気の原因を運や環境のせいであると考える傾向のある人たちは、病気の原因を自分自身のせいであると考える傾向のある人たちよりも喫煙率が高かった。

(3)禁煙の意欲
 喫煙に関する全国意識調査によると、喫煙者の約70%が「禁煙したいと思っている」あるいは「実際禁煙したことがある」と回答している(表・・1-2(略))。また、大学生を対象とした皆川の調査でも、喫煙男子の70%弱と喫煙女子の50%弱が禁煙意欲を持っている。

 禁煙意欲の理由に関する調査によれば、「健康影響」をあげたものが大部分であった。逆に禁煙不実行の理由としては、「習慣性・依存性」をあげるものが最も多く、次いで「意志薄弱」であった。
   表・・1-2 性・年齢階級別にみた禁煙意欲(略)

 

第2章

1.葉たばこ生産
 たばこ製品の原料となる葉たばこは、国内生産分と輸入分とに分類される。国内での葉たばこ生産を買人数量の年次推移別表(表・・2-1(略))でみると、買人数量は、昭和40年の19万3529tを最高にして経年的にみると減少している。同時に耕作者数も減少し、昭和61年には7万5654人となっている。

 一方、葉たばこ輸入は、経年的にみて増加している。昭和60年では、葉たばこの輸入部分が占める割合は、約40%となっている。
   表・・2-1 葉たばこ生産の推移(略)

2.たばこ生産、販売
 たばこ製品の製造量は、昭和60年には3032億本であり、ここ10年間ほぼ同一の約3000億本である。たばこ販売量は、経年的にみて少々の変動がみられるものの、販売額は一貫して増加している(表・・2-2(略))。昭和60年度の紙巻たばこ販売額は3兆769億円、また、たばこの小売販売店は26万7千店となっている。また、外国たばこ製品は昭和60年で約75億本であり、増加の傾向にある。

 紙巻たばこの製造高を国際的にみると(表・・2-3(略))、1982(昭和57)年の国際比較では、日本の製造高は、中国、米国、そしてソ連に次いで、世界第4位の生産高となっている。
   表・・2-2 たばこ販売高、専売納付金等の推移(略)
   表・・2-3 紙巻たばこ製造高(略)

3.たばこ製品の輸出入
 葉たばこの輸出入(表・・2-4(略))の特徴は、輸出額に比べて輸入額がかなり多いことである。

 たばこ製品の輸出入も葉たばこの輸出入と同様な傾向がみられる。たばこ製品の輸入は金額、量ともに昭和43年以降急増し、昭和58年には、輸入金額が約254億円となっている。一方、輸出金額は同年次で、約57億円である。
   表・・2-4 年次別葉たばこ輸入・輸出高の推移(略)

4.たばこ消費
 たばこ消費の実態は、主に喫煙率と販売量で示されよう。1人当たりの紙巻たばこ消費量の経時変化(表・・2-5(略))をみると、昭和50年以降1人当たりの年間紙巻たばこ消費量は約2600本でほぼ一定している。また喫煙者の1日平均喫煙本数も、男で約25本、女で約16本でほぼ一定した傾向を示している。
   表・・2-5 年次別、1人当たりシガレット消費量、販売店数等の推移(略)
   表・・2-6 たばこ自動販売機数の推移(略)
   表・・2-6(略)はたばこ自動販売機台数の年次推移をみたものである。昭和57年には30万台を超えている。

5.たばこ価格
 主なたばこ価格の年次推移(表・・2-7(略))をみると、種々な消費者物価指数の年次推移に比較して、たばこの指数の伸びが高いことが注目される。
   表・・2-7 消費者物価指数(全国)(略)

6.たばこ税金
 専売制廃止以前は、たばこに関する税金は、専売納付金と、地方財政源となるたばこ消費税とに大別されていた。昭和58年度の専売納付金(特別納付金975億円を含む)は、1兆円を超え、国家一般会計歳入額の約2%を占めていた。一方、たばこ消費税は、同年で約7781億円となり、地方歳入額の約1.5%を占めている(表・・2-8(略))。
   表・・2-8 財政規模(略)

 なお、昭和60年4月の専売改革に伴い、専売納付金制度に代えて、たばこ消費税制度が導入され、地方税制に基づくたばこ消費税についても改正が行われた。

 

第3章

1.喫煙に起因する経済損失
 喫煙によって起こる経済損失は、大きく3つに分類されよう。1つは、喫煙によって引き起こされる疾病の治療費、2つは病気や死亡に基づく所得損失、そして、3つはその他の損失である。

 この正確な算出はきわめて困難であるが、いくたの前提をおいた試算によると、わが国における昭和51(1976)年の1年間の喫煙による経済損失は約1兆1400億円と推計されている(表・・3-1(略))
   表・・3-1 喫煙に起因する損失(略)

2.火災
 喫煙に関連する社会問題のひとつとして火災の問題がある。昭和59年中における火災による損害の総額は1462億円である。

火災の原因の第1位は、昭和35年以来「たばこ」が占めてきたが、昭和59年には「たきび」が第1位となった。しかし、火災原因別に見た損害額では、「たばこ」が、約146億円で最も多い。

 たばこによる火災の損害状況をみると、建物火災が最も多く、その経過は、「たばこ投げ捨て」が約70%を占めている(図・・3-1(略))
   図・・3-1 出火原因別の出火件数と損害額(略)

3.民間活動
 喫煙対策を効果的に推進させていくうえで、市民および民間団体の役割が重視されつつあるといえよう。

 わが国での喫煙対策に関する市民活動としては、教育、保健社会医療、消費、添加物公害、嫌煙権そして人間性といった幅広い課題として、広範囲に展開されている。これら市民活動の特色は、種々な職業の人びとが協力し合いながら、主にボランティアとして活動していることである。全国禁煙協会が把握している全国の市民活動グループは、昭和61年9月現在で49グループ、会員数約10万人になっている。
   表・・3-2 喫煙対策に関連した民間団体(略)

 市民による主な活動としては、毎年4月に、全国一律に禁煙週間を設けて、市民に喫煙問題の啓蒙活動、アピールおよび禁煙教育などを行っている。その他には、情報活動の一環として機関誌の発行やニュース発行などを行っている。

 民間の立場から喫煙問題解決に力を注いでいる民間活動団体を表・・3-2(略)に示した。

4.訴訟
 わが国における喫煙に関する訴訟はあまり例がないが、最近判決のあったものとしては市民グループが昭和55年に、日本国有鉄道、日本専売公社(現・日本たばこ産業株式会社)、国を相手として国鉄の車輛の2分の1を禁煙とすること等を求めて提訴したものがある。本件は、昭和62年、原告らの敗訴となった。

 外国でのたばこ製品についての訴訟の事例をみると、米国では1950年代後半から1960年代に、肺がんになった喫煙者のために10件の訴訟がたばこ株式会社に対してなされたが、4件は原告が訴訟を取り下げ、3件は陪審へ送られる前に略式裁判の申立で敗訴し、3件は陪審に送られて敗訴している。訴訟に莫大な費用が必要なこと、喫煙と健康との関係について十分な医学的な知識がなかったことなどが、敗訴の理由としてあげられている。

 最近は米国では、煙草をめぐる訴訟の波の第2期にあり、20〜30件の訴訟が米国内の多くの州で提訴されている。原告は肺や口腔などのがん、心血管疾患、肺気腫などの患者かその遺族で、身体への障害行為や不当な死亡に対して、補償的、懲罰的な損害賠償金の支払いを求めている。この背景には、まず喫煙の健康に対する影響について、多くの科学的な知見が蓄積され、また喫煙に習慣性があるとする見解が強くなってきたことがあげられる。

 これらの訴訟の争点の第1は、喫煙の健康に対する悪影響がよく知られていない時代に喫煙を始めた人たちが、厳格な不法行為責任論を根拠に、たばこが欠陥製品であると主張しており、論争が続けられている。争点の第2は、喫煙の健康に対する影響があることを明らかにする米国公衆衛生監督の1964年の報告が行われ、紙巻きたばこの包装に警告をのせることを議会が決定した1966年以降に喫煙を始めた人たちが、習慣性については警告がされていないことを問題とし、習慣性が周知のことであるか否か、たばこ産業が行っている広告が警告を無効にしているか否か、警告の内容のあいまいさなどについて、論争が行われている。第3の争点は、原告の疾病の原因がたばこだけで、それ以外にはないかということである。

 嗅ぎたばこについては、嗅ぎたばこを12歳から用い、19歳で舌がんで死亡した子供の家族が、訴訟を起こしている例がある。

 嗅ぎたばこについては、包装に警告も載せられておらず、テレビでの広告も許されているので、因果関係、広告の問題などが争点になるものと思われる。

 このほかに、たばこによる火災の被害者、ことに類焼にあった人が、不法行為責任の欠陥デザイン学説を根拠に、提訴をしている。

 スウェーデンでは、1980年に肺がんと診断された54歳の女性が、発がんの原因は職場での間接喫煙であるとして、労災保険の適用を申請し、認められなかったために地方審判所に提訴し、1986年に上級審判所で労災適用が認定されているケースがある。

 

第4章

1.研究
 医学を中心にして喫煙の健康被害に関する研究が内外から報告されているが、喫煙の健康影響、特に肺がんについての本格的研究は1950年代に入ってからである。1964年には、これらの成果をふまえて、米国公衆衛生監督は、『喫煙と健康』についての報告書をまとめた。

 昭和39(1964)年2月、わが国の厚生省は、米国公衆衛生監督による同年の報告書を基盤として、「喫煙の健康に及ぼす害について」通知するとともに、日本人の喫煙と健康に関する調査を行うこととし、全国6府県29保健所管内の40歳以上の地域住民約26万人を対象とする計画調査を開始した(1965年〜、平山ら)。昭和39年のこの通知は「わが国においても若年者の喫煙、成人の長期多量の喫煙が健康に悪影響を及ぼすことは明らかである」と初めて明言したものとして注目された。

 喫煙対策という視点にたったその後の研究としては、昭和54年以来続いている、健康づくり等調査研究委託費による「喫煙と健康に関する調査研究」や、環境庁の委託研究による「禁煙指導に関する調査研究」、さらに昭和32年より開始されている専売公社の委託研究報告書などがある。

 前二者の研究では、広く内外の文献を収集しつつ、わが国での効果的な喫煙対策の方法を確立することを主な目的として、喫煙や対策の実態分析、学校、職場、地域における禁煙教育の方法の検討や評価などが調査研究され、実際的な手引書も作成されている。

 一方、後者の報告は、喫煙と疾病との関連性を医学的に究明することを主な目的にした研究内容から構成されている。

 今後の喫煙対策のあり方に関する研究としては、昭和61年3月に、財産法人健康・体力づくり事業財団からの調査研究委託費によって報告書が提示されている。喫煙対策のあり方に関する調査研究としては、わが国初めてのものである。

 米国国立がんセンターの喫煙対策についての報告では、「がんの成因と喫煙との正の相関についてこれ以上の研究をいたずらにくり返すよりも、まだ十分には解明されていない、喫煙開始の防止方法、禁煙方法などの研究が重要であり、もしこのような国家的な研究戦略がとられていたなら、喫煙者率を低下させていたはずである」と述べている。ちなみに、米国の1985年度の「喫煙開始の防止方法、禁煙方法などの研究費」は、約1100万ドルであった。WHO専門委員会報告での研究の方向性としても、「なぜ人びとは喫煙を始めるのか、なぜ人びとは喫煙しつづけるのか、なぜ人によっては禁煙が困難なのか、なぜいったん禁煙した人が、また吸い始めることがあるのかといった喫煙習慣を左右する要因をより明らかにするために、もっと研究が必要である」と述べられている。

2.教育
 WHOの報告によると、「喫煙と健康の問題には研究の余地があるとはいえ、喫煙対策としての主要な教育活動を行うべきである」と勧告されている。

 喫煙問題に関する教育問題としてWHOは、保健医療関係者の教育、一般大衆の教育、そして、子供に対する教育の3点から考察している。表・・4-1(略)には、富永が示したわが国における保健医療関係者の教育機関と対象者を示した。

 喫煙に関する学校教育で用いられる教科書に関する高石らの昭和56年の報告によると、「教科書の記述内容を総合的にみて、「喫煙と健康」に関する教育の重要性がいくらか認識されてくるようになっている」という。また内容的には、「非行防止という観点から、疾病予防の項目で喫煙による健康障害について説明」されているという。さらに高石らは、喫煙防止のための教育方法についても実践的に研究をかさね、その方法論および効果について報告している。また、小学生および中学生を対象とした喫煙防止をねらいとした手引書もすでに発行されている。

 一般の人びとが受ける禁煙教育としては、マスコミによるものや保健医療機関によるものがあげられる。健康情報の入手方法としてテレビ、ラジオ、新聞といったマスコミ情報が大きな役割を持っているということが、健康づくりに関する意識調査結果に示されている。厚生省が昭和62年に行った保健所における喫煙対策実態調査によれば、なんらかのかたちで喫煙対策を実施している保健所は全体の67.6%であった。医療機関での禁煙教育については、森らの昭和60年の調査によれば、診療時の再来患者に対する問診として「喫煙習慣の変化」を必ず実施しているの16.8%である。
   表・・4-1 喫煙対策従事者の教育機関(略)

3.国際協力
 喫煙に関連した国際協力としては、研究分野が主要であろう。喫煙対策における国際協力としては、政府レベル、研究レベル、民間レベルなどに分けられよう。政府レベルとしては、世界保健機関(WHO)を基軸にしたものが主要である。WHOによって示される喫煙に関する主な勧告は、政府の通知という形式で各都道府県知事、各指定都市の市長あてに通知されている。またWHOが主催する喫煙対策に関する世界会議に政府から参加していることも国際協力のひとつと考えられる。

 1985年、ワシントンで開催されたm喫煙対策指導者国際サミット会議などは、喫煙対策のあり方を国際レベルで探りあうという意味で民間レベルにおいて国際的な協力といえる。また、国際対がん連合(UICC)は国際消費者連盟(IOCU)として、民間レベルにおける喫煙対策のあり方を探っている。一方、学会や民間の健康関連財団でも世界的レベルで喫煙対策を推進している。昭和62(1987)年秋には、第6回喫煙と健康世界会議が東京で開催される予定であり、新しい視点での効果的な喫煙対策が展望できるものと期待されている。