Dr.中川のがんの時代を暮らす:/30 リスクを見る目を養う
東日本大震災と東京電力福島第1原発の事故から1年を迎えましたが、「放射線パニック」は収まる気配がありません。放射線被ばくによる健康被害は「今のところゼロ」です。一方、震災による死者・行方不明者は約2万人、建築物の全壊・半壊は37万戸以上、ピーク時の避難者は40万人以上に達し、震災による被害額は16兆〜25兆円と見積もられています。震災による被害と放射線による健康影響は、比較にならないと考えています。
津波などの災害は現実の「損害」です。放射線被ばくは「ただちに健康に影響がない=将来がんが増えるかもしれない」という潜在的な「リスク」です。
「リスク」は、現実に発生した災害などと違い、今は起きていないものの、将来、起きる可能性のある損害を指します。また、私たちの判断や選択に左右され、起きたり起きなかったりする「不確実性」を持つ点が特徴です。
巨大津波は、人間の判断とは無関係に起きますから、リスクではありません。しかし、地震と津波による「全電源喪失」が起こる可能性がある立地で原発を稼働するのはリスクになります。
天災とリスクの違いは、震災そのものと原発事故に対する日本人の態度にも顕著に表れました。津波の被害に対しては、どんなに深い悲しみに沈んでも、復興に向けた「絆」が発揮されました。ところが、原発事故については、がれきの受け入れも進まず、風評被害も収まりません。背景には、リスクに対する「漠然とした不安」があると感じます。
戦後の日本は、「安全・安心」な社会を目指してきました。一方、放射線被ばくといったリスクでは、「安全」と「安心」が必ずしも両立しません。低線量被ばくの安全性は確立していませんが、少なくとも大きなリスクではありません。しかし、安心のため、わずかの被ばくを恐れて避難すれば、逆に安全が損なわれることもあります。日常生活を改悪すれば、放射線被ばくよりずっと巨大な発がんリスクを背負い込むこともあるからです。
目の前のリスクに振り回されると、かえって損害を受けることがあります。リスクを見る「目」を養うことが何より大切です。(中川恵一・東京大付属病院准教授、緩和ケア診療部長)