実験67回、甲状腺がん多発 自給自足から缶詰生活に 「ビキニ環礁ルポ」
ビキニ、エニウェトク両環礁と周辺で行われた核実験は67回。米疾病対策センター(CDC)によると、チェルノブイリ原発事故の約150倍の放射性物質が放出した。
ビキニで1954年に行われた水爆実験「ブラボー」は、広島原爆の千倍で史上最大。東方約150キロのロンゲラップ環礁の島民や、操業中だった静岡県焼津市の「第五福竜丸」など日本の漁船も多数被ばくした。
住民の健康被害は深刻だ。米国立がん研究所の2004年のまとめでは、甲状腺や胃、腸のがんが多発しており、今後も甲状腺を中心にがん発症の恐れが高いと指摘した。
首都マジュロには「核実験被害補償法廷」が設置され、認定された疾病などに対し、米国が提供した1億5千万ドルの信託基金で補償金が支払われてきた。しかし、基金は底をつき、米国に追加補償を求めている。
住民はもともと、ヤシの実や漁業など自給自足の生活を送っていたが、46年の核実験前に米国の指示で周辺の島々に移され、米国から支給される缶詰などが中心に。首都マジュロで元島民を診察するフィリピン人医師は「食生活の悪化と長期の移住生活で、高齢者を中心に糖尿病が急増し、がんとの併発患者も多い」と指摘する。
放射性物質の除去も課題。ビキニ島民は米国の安全宣言(68年)でいったん帰島したが内部被ばくが判明し、78年に再び島を追われた。
現在は表土などを除去する資金が底をつき、作業が中断している。核の研究機関、米国立リバモア研究所によると、今もプルトニウムのほか放射性セシウム137が、最大で表土1キログラム当たり千〜3千ベクレル検出されるという。
ロンゲラップでは、島の一部で除去作業が近く終わるとして、自治体が島民の帰島を始める意向を表明。だが、過去に帰島しながらビキニより放射線量が高いことが分かり再び離れた経緯があり、反対論も根強い。(マジュロ共同)
ビキニ環礁の住民は、米国の1968年の「安全宣言」でビキニ島に一時帰島したが、流産や体調不良を訴える人が相次ぎ、体内からプルトニウムやセシウムが検出されたため、再び離島した。表土を取り除いても駄目だったということだ。
放射性物質は島を形成するサンゴ礁の中に入り込んでしまって取れない。海洋では、ビキニの北西で3年ぐらいの間、放射性物質の固まりが循環していたことも判明している。ばらまかれた放射性物質は、完全に拾いきることはできない。
ロンゲラップ島では帰島に向けて観光、養豚、黒真珠の養殖などが始まっている。ただ、滞在できるのは、一部の居住区域と公共スペース、空港への行き来だけ。環礁内の他の島へ行くことも、島で採れるヤシの実などを食べることもできない。一部の人だけが帰島するとコミュニティーがばらばらになるという問題も。高齢者は帰るが、若い人は帰らないだろう。
エニウェトク環礁では、北部のルニット島に、除染作業で出た汚染土を集めコンクリートでふたをした「ルニット・ドーム」がある。住民は70年代終わりから南部の島に戻ったが、ドームにひびが入り、放射性物質が漏れ出している恐れがあることから、マーシャル諸島はドームを監視する担当者を置くよう米国に要請している。放射性廃棄物の管理が難しいことがよく分かる。(共同)
とよさき・ひろみつ フォトジャーナリスト。48年、横浜市生まれ。マーシャル諸島や米国、チェルノブイリなど世界の核問題を追い続けている。著書に「アトミック・エイジ」「マーシャル諸島 核の世紀」など。