よりよく生きるために 死を見つめることの大切さ 
広がる知の体系「死生学」

 


よりよく生きるために 死を見つめることの大切さ 
広がる知の体系「死生学」「こころ=特集」

 よりよく生きるために死を見つめ、自分なりの死生観を形成して最期に臨む。その支えとなる新しい知の体系「死生学」が広がりをみせている。

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 「家族に知らせていない負債はありませんか?」。聴衆の笑い声が何度もはじけた。マイクを握るのは、アルフォンス・デーケン上智大名誉教授。都内で開かれた「東京・生と死を考える会」公開セミナーでの講演だ。

 死別とグリーフ(悲嘆)ケアがテーマだが、ユーモラスな語りを盛り込みつつ、死別体験者に接する際に配慮すべき点、配偶者を失う時の備えについて話を進めた。

 1932年ドイツ生まれ。59年に来日、上智大で「死の哲学」を長年講じ、一般の人々にも「死への準備教育」の大切さを説いてきた。死をタブー視する風潮が強い日本で「死生学」を切り開いてきた草分け的存在だ。

 死生学。デーケン名誉教授は「死に関わりのあるテーマに対して学際的に取り組む学問」と定義付ける。医学や哲学、心理学などさまざまな学問を用い、死と向き合う知の体系。ホスピス運動と深い関わりを持ち、日本では70年代から死生学という言葉が用いられるようになった。

 ▽死生観

 死生学推進役の一人、島薗進(しまぞの・すすむ)東大教授によると、この新しい学問名に通じる「死生観」という言葉が"発明"されたのは日露戦争前後。この言葉に託して死に思いをはせ、最期に関する考えをまとめておこうとする思想や文学が一つの作品群を形成しているという。こうした伝統の中、日本における死生学は、生命倫理や葬儀、慰霊などの研究とも結び付きながら幅広い領域を構成してきたと島薗教授は話す。

 「『日本人の死生観って何だろう』との問いは『日本人って何』につながり、自らの文化を問い直す良い切り口になる」

 市民の関心も高い。シンポジウムなどの反響の多さに驚かされるという。背景に、医療が生活にかかわる範囲の拡大、高齢社会の進行がある。医療現場からのニーズも高く、哲学や宗教学などの学問的蓄積を反映した「人文的な知の厚み」の必要性を痛感している、と島薗教授は話した。

 ▽いのちへの関心

 死生学は死と向き合う学問だが、必要としているのは必ずしもシニア世代だけではない。関西学院大人間福祉学部の藤井美和(ふじい・みわ)教授が死生学の授業を始めたのは、99年秋。最初の授業で、学生が教室の外にあふれているのに驚いた。「学生時代は何のために生きるのかを考える時期。いのちや死に関心がある」

 がんにかかった学生が亡くなる過程を日記形式で追体験し、大切なものを一つずつ手放す「死の疑似体験」など、生死を見据える授業で注目を集めてきた。同大の死生学・スピリチュアリティ研究センター長も務める。

 自身、死に直面した経験がある。新聞社で充実した毎日を過ごしたが、突然全身がまひする病気に。一命はとりとめたものの、全く動けない日々。同室の患者が安楽死を懇願しながら亡くなる姿を見て思った。「死んでいく人々のために何かできないものか」

 半年の入院、2年半のリハビリを経て大学に学士入学し、社会福祉を専攻。が、「死」の科目がない。最終的に米国で学んで博士号を取得した。

 死生学への関心が高まる中、体を気遣いながらも旺盛な活動を展開する。熱心なクリスチャンであり、そのぶれない生き方の核には信仰がある。

 「死を含め、生きることを考えるのが死生学」と藤井教授。「生死の問題は小手先では無理。人間に関心を持ち、若いうちから『いのち』について考えてほしい」

2012年3月23日 提供:共同通信社