難病カルテ:患者たちのいま/57 全身性エリテマトーデス(SLE) /佐賀
◇長女が生きる支えに 育児経験役立てる勉強も
7月下旬、佐賀市内であった吹奏楽のコンクール。全身性エリテマトーデス(SLE)を抱える坂本恵美さん(41)=鹿島市=は夫とともに客席に座り、バスクラリネットを担当する中学2年の長女の演奏を聴いていた。長女が担当するソロパートがくると、女性は目を閉じて耳を傾けた。約半年前、女性は症状悪化で一時危篤状態に陥った。「生きて返ってこられた。生きているから聴けているんだ」。その実感に涙が止まらなくなった。
発症は15歳の頃。「20歳まで生きられるか分からない」と告げられた。高校進学もかなわず、小児病棟に入っている友人が、一人、また一人と亡くなっていった。
「病気を理由に諦めたくない。ここから抜け出したい」と、夢だった美容師になるため住み込みで働き始めた。しかし4カ月後、症状悪化で諦めざるを得なかった。
約20年前に妊娠が判明したが、当時強い薬を飲んでいたことなどから中絶。その数年後にも双子を妊娠したが、胎児は2人とも心臓が弱かった。自身の体力不安もあった。「どうにかならんとですか」。医師に泣きついたが、かなわなかった。
98年、3度目の妊娠は初めて医師から「お墨付き」を受けた。しかし3、4カ月目に羊水が通常の半分に減少。8カ月までつわりは続き、妊娠後なのに体重は10キロ落ちた。それでも「今度は育てたい。手術したくない」と願い続けた。
予定より1カ月早く生まれてきた長女は、体重1896グラム。対面より応急処置を施されたが、保育器越しに会えた時「ママにしてくれてありがとう」と喜びと感謝がわき上がった。
子供は順調に育ったが、自身は出産約4カ月後、「特発性大腿骨頭壊死」を発症。子育てが落ち着いた05年に手術を受けた。
07年には頭痛、吐き気が続き、自宅で吐血。脳梗塞(こうそく)だった。右半身に後遺症が残り「高次脳機能障害」の診断も受けた。物忘れがひどくなり、複数の作業を同時にこなすことが難しくなった。
症状が悪化し、次々と病気が重なるたび「なぜ自分が……なぜ死なせてくれないのか」と何度も考えた。その時の支えになったのが長女の存在だった。
それでも「娘中心だけではいけない」と子育てする親を支える活動にも取り組み、相談員になる勉強もしている。「家にいて日陰の暮らしをするより、外に出て人と話す機会があった方がいい。病気を持ちながら子育てした体験が役に立てるなら、生還したかいもあるしね」。そう言って、真剣な表情でテキストに向かった。【蒔田備憲】
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