刺されるとかゆくなるトコジラミ。かつてナンキンムシと呼ばれ、戦前から終戦直後にかけて多くの人が被害に遭った。高度経済成長期以降、駆除が進み、被害はほとんどなくなっていたが、近年、海外から持ち込まれ、被害が再び広がっている。
「まるで悪夢。二度と体験したくありません」。東京の一戸建てに住む主婦(60)は、トコジラミに悩まされた日々を思い出す。
気付いたのは5年前。就職したばかりの息子が、トコジラミに足や首を何か所も刺され、肌をかきむしって真っ赤に腫らした。ダニに刺されたと思い、市販の殺虫剤を息子の部屋に散布したが効果がなく、そのうち主婦も刺されるように。
ある日、購読していた英字紙に、米国のトコジラミ被害を伝える記事があり、虫の写真を見て「これだ」と気付いた。2年前に駆除業者に薬剤を散布してもらい、寝具などを捨てると、しばらく刺されなくなった。ところが、昨年、同居の父親が刺され、再び業者に駆除を依頼。「まだいるかも」と主婦は不安げだ。
トコジラミは第2次世界大戦前後、被害が目立った。戦後、DDTなどの殺虫剤散布による駆除が進み、1970年代以降、ほとんど見られなくなった。
ところが、世界規模で人の交流や物流が活発になったことで、長い間被害のなかった米国で2000年ごろから急速に被害が拡大。日本でも、宿泊施設などで被害が報告されるようになった。スーツケースの車輪の隙間やバッグの縫い目などに潜み、海外などから日本に入ってきたとみられる。東京都の保健所に寄せられたトコジラミに関する相談件数も2006年度以降、急増している。
害虫防除の情報提供を行う公益社団法人「日本ペストコントロール協会」の調査によると、トコジラミの駆除件数は宿泊施設が最多で集合住宅、一戸建て住宅が続く。「被害は全国に広がっており、室内が清潔でも被害は起こりうる。一般家庭も例外ではありません」と同協会副会長の平尾素一さんは話す。
トコジラミは、繁殖すると、寝具やソファの縫い目、壁紙の中などに入り、簡単に駆除できないという。
駆除会社「セントラルトリニティ」東京支店の白木谷唯史さんは「市販の殺虫剤を使っても細かな隙間に届かず、逃げられて拡散する。専門の駆除業者に相談してほしい」と話す。駆除の費用は部屋の広さや被害の状況によるが、数十万円かかる場合が多い。ひどいと、薬剤散布のために壁紙を剥がしたり床板を外したりする工事が必要になる。
最近のトコジラミには、家庭用の殺虫剤が効きにくいという調査も研究者から報告されている。国立感染症研究所の冨田隆史さんが全国80か所で採取したトコジラミを調べたところ、その約9割が、ピレスロイド系の殺虫剤成分に耐えうる遺伝子を持っていた。
ピレスロイド系の成分は人体への影響が少なく、多くの家庭用殺虫剤に使われている。冨田さんは「トコジラミは殺虫剤への耐性を獲得し、生き残ってきた。作用の異なる業務用の殺虫剤を使うか、スチームなどの熱で物理的に駆除するしかない」と話している。
刺された部位で見分ける 特徴知り、効果的に防除を
トコジラミに加え、ダニやノミなどに家で刺されても、かゆくて不快になる。刺された虫の種類が分かれば、効果的な防除対策を立てやすい。専門家にその見分け方を聞いた。
害虫に関する相談に応じている池袋保健所(東京)の矢口昇さんは「トコジラミ被害に遭った人の多くが、ダニの被害と思い込んでいる」と話す。ダニに効く殺虫剤を使ってもトコジラミには効果が少なく、逃げて拡散させてしまうという。「そうならないために虫の特徴を知っておくといい」
都市部や住宅地にある家の中で人を刺すダニは、イエダニやツメダニなどごく一部。イエダニはネズミに寄生するため、ネズミの駆除が必要。ツメダニは高温多湿を好むので、まめに掃除をして部屋の風通しを良くすると防げるという。
トコジラミは主に夜間活動し、就寝時に刺されることが多い。寝具やソファの隙間に潜み、周辺にふんが点々と散っている。矢口さんは「トコジラミは一般の人が完全に駆除するのは難しい。最寄りの保健所に相談してください」と話す。
「どこを刺されたかで、虫の種類を推測できる場合もあります」と話すのは、虫刺されに詳しい兵庫医科大准教授(皮膚科)の夏秋優さん。トコジラミは首、足など露出している部分を刺し、イエダニは衣服に潜り込んでわきの下や下腹部などの軟らかい部分を刺すことが多い。トコジラミに初めて刺された人は症状が出ない場合が多い。何回か刺されても数日後に症状が出るため、いつどこで何に刺されたか分からず、皮膚科では「原因不明の虫刺され」と診断されることが多いという。
夏秋さんによると、これまでにトコジラミが感染症などを媒介するケースは確認されていない。「軽い症状なら市販の虫さされ薬を使い、腫れがひどければ皮膚科を受診してください」(宮木優美)
トコジラミ 俗称ナンキンムシ。カメムシの仲間の昆虫で、幼虫の体長は1-4ミリ、成虫は5-8ミリ。成虫は肉眼でも確認できる。動物の血液を吸って生きる。日中は暗い隙間に潜んでいることが多く、主に深夜に活動する。