バイパス手術治療法編
心臓病とたたかう

冠動脈が詰まった場所に血管の迂回(うかい)路を作るバイパス手術は、心筋梗塞(こうそく)や狭心症の代表的な外科的治療法だ。今回の調査で院内死亡率は1%台にとどまり、人口心肺装置を使わずに心臓を動かしたまま行なったり、傷口を小さくするなど、患者の体への負担を減らす工夫も進む。ただ、人口心肺装置の使用割合には病院間でバラツキがあり、手術時間にも格差があることが浮き彫りになった。

「小切開」や内視鏡で
「手術後の経過は順調。おかげで命拾いした」。昨年12月、葉山ハートセンター(神奈川県葉山市)で冠動脈バイパス手術を受けた都内の会社員、鹿島澄次さん(仮名、46)は笑顔で振り返る。

昨年2月、自宅から徒歩で最寄りの駅に向かう朝の通勤中に起きる「胸が詰まるような感覚」が気になりだした。それは次第に「しゃがみ込みたくなるほどの苦痛に」。12月同病院を受診したところ、心臓の筋肉に血液を送る冠動脈3本が詰まった心筋梗塞と診断された。

「カテーテル治療でも治療できるが、体質的にみて再発の可能性も高い。手術を受けた方がいい」。医師に勧められたのは「冠動脈バイパス手術」。グラフトと呼ばれる体内の別の血管で詰まった部分の迂回路を作る方法だ。

グラフトは、胸板の裏側を縦に走る内胸動脈や胃壁のにある胃大網動脈、前腕内側にある
撓骨(とうこつ)動脈のほか、内またの大伏在静脈などが使われる。鹿島さんの場合は、長期間詰まりにくいとされる内胸動脈を使用。約6時間の手術中は人口心肺装置で全身の血液を確保した。

術後5日目には体につないだ管がとれ、病院の廊下を歩くリハビリを開始、入院から約2週間で退院した。「手術前は心配したが、術後はこんなものかという感じ。胸の詰まる感覚はすっかりなくなった」と話す鹿島さんは、年明け早々に職場復帰した。

同手術はカテーテルを使う内的治療では完治が困難な重症患者を対象に、国内で年間2万例行われ、緊急時以外の院内死亡率は1.46%。心臓発作や脳障害を起こす確立も2−5%にとどまっている。

患者の体への負担を小さくする手術法の開発も試みられている。

金沢大病院(金沢市)の心肺・総合外科では、回復に時間のかかる胸骨切開をしない小切開手術(ミットキャブ)や内視鏡手術に取り組む。小切開手術は右前腕部を7−10センチほど切開し、心臓を動かしたまま冠状動脈と内胸動脈や胃大網動脈をつなぐ。身体的な負担が小さく、術後管理がしやすいなどの利点がある。

同病院では、渡辺剛教授を中心に2000年9月からの5年間で100例以上の小切開手術を実施。「患部の炎症が起きる期間が術後7日から2日に減り、手術の次の日から歩き出すなど退院までの期間が半分の1週間に減らせる」と渡辺教授は手術効果を強調する。

同病院では完全内視鏡手術も国内で初めて実施。胸腔(きょうくう)鏡を見ながら内胸動脈をはがして冠状動脈につなぐ手術で、左胸の下4カ所程度、1−2センチの穴を開けるだけでできる。バイパスが1本の場合に限られるが、これまで7例で成功した。

一方、国立循環器病センター(大阪府吹田市)心臓血管外科では小切開手術の際にミリ単位の治療が可能な「ダヴィンチ」と呼ばれるロボットを使った手術を一昨年10月から開始。9例でグラフトに使う内胸動脈の採取にダヴィンチを使った。小林順二郎部長は「今後はこうしたロボットなどを利用した可能性が広がるはずだ」とみる。

ただ、こうした最新の手術方法はまだ発展途上。技術を使いこなせる病院は少ないのが現状だ。葉山ハートセンターの磯村正・心臓外科センター長は、バイパス手術を受ける際の診療科選びの目安として「手術方法の説明や合併症の存在などを患者に丁寧に答えてくれる医師の存在」を挙げる。その上で「500例の手術経験が医師の技量を判断する1つの目安だ」と話している。

人口心肺使用対応 分かれる
これまでの冠動脈バイパス手術は、心臓を止め、「人口心肺装置」というポンプを全身の血液循環を代替させる「オンポンプ手術」が主流だった。だが1990年代に、こうした装置を使わず、心臓を動かしたまま行なう「オフポンプ手術」が登場、急速に広がっている。今回の調査では各診療科の方針により「人口心肺を使うか、使わないか」がはっきりと分かれた。

オフポンプ手術数を回答した180施設のうち、80%以上の患者に対してオフポンプ手術を行なっていると回答したのは52施設(28.9%)。このうち7施設は100%だった。20%未満だったのは25施設(13.9%)で、オフポンプを一切行なっていない施設も5施設あった。

2001年以降、緊急以外のすべての患者にオフポンプ手術を実施した国保旭中央病院(千葉県旭市)の樋口和彦・心臓外科部長は、血液量の調節などが難しい人口心肺を使った場合(オンポンプ)のリスクとして3つの点を指摘する。

@動脈硬化の進んだ血管に勢いよく血液が流れ込み、血栓がはずれて脳梗塞を起こすA十分な血液が行き渡らず、肺機能や腎機能の低下を招くB心臓機能が落ちた高齢患者の場合、一度心臓を止めると血流を再開しても心臓が十分に拍動しない恐れがある――。オフポンプ手術はこうした懸念がなく、安全性が高いという。

人口心肺装置を使うオンポンプ手術が主体の病院も少なくない。

全症例がオンポンプ手術という東京都済生会中央病院(東京都港区)の広谷隆・心臓血管外科部長は「10年以上もつバイパスを作る第一条件は精度の高い吻合(ふんごう)。心臓を止めて行なうオンポンプ手術なら細かい手技を安定した状態で行なえるので長期間再発しないケースが多い」と強調する。人口心肺の性能向上で、トラブルが起きにくくなっている事情もある。

海外では、どちらの手術方法でも危険性は変わらないというデータが発表されている。米国で心臓病治療について高い評価を得ているクリーブランド病院(オハイオ州)は1998年からオフポンプ手術を導入、01年には400件近くに達したが、現在はオンポンプ中心に切り替え、04年のオフポンプ手術は100件を下回った。

クリーブランド病院で手術を担当し、昨年町田市民病院(東京都町田市)の心臓血管外科部長に着任した山室真澄医師は「動脈硬化が進んだ患者などは、人口心肺装置を使うとリスクが高まることも明らかになっている。患者の状態によってどちらの手術方法がいいのか、適切に判断することが大切だ」と話している。

2006.1.15 日本経済新聞