精神療法の達人である精神科医・神田橋條治氏の対談を読んでいたら「PTSD(心的外傷ストレス性障害)の治療は、ぼくの中でほぼ完成しています。PTSDの治療は、それでたいていうまくいきます」と論文が紹介されていた。こんな書き方をされたら、いくら論文を読むのが嫌いな私でも、読んでみようかな、と思わずにはいられない。早速、図書館でコピーしてきた。
北海道大学での講演をまとめたその論文には「PTSDの治療で大切なのは、事件や事故の記憶が突然よみがえるフラッシュバックをどうコントロールするかだから、いたずらに記憶を刺激するような質問をしてはいけない」と書かれていた。
トラウマの記憶について話し合うのは、時間が経過して、その人の生活力や精神的な力が増えたときで十分、という。まだフラッシュバックが盛んに起きて日常生活に支障をきたしているときに、あれこれ聞き出そうとするのは、神田橋氏に言わせると「血が出ているのに『痛いね』とか言ってなでたりするような実にけしからん治療」だとのことだ。
話せばいい、聞けばいい、というものではない。この指摘は新鮮だった。さらに神田橋氏はこうも言う。
「精神療法でもすべては本人がやる気があってするんです。行動療法もそうです。人間は動物と違うから、本人がする気がないのにしたら、めちゃくちゃに悪くなる」
そうだ、と私は膝(ひざ)を打った。知人たちは私に「あなたの病院、精神科なのに5分診療?それってひどいんじゃないの」と言うが、みんなに1時間ずつ時間を割いたら、「めちゃくちゃに悪くなる」とこの大家も言っているではないか…。
たまには論文も読むものだ。神田橋氏の話におおいに触発された私は、次の診療日のとき、勇んで診察室に入り、そして口をつぐむことにした。「話させすぎ、聞きすぎはいけないのだ」と自分に言い聞かせながら。
診察はいつもよりさらにハイペースで進み、気がつけば隣の診察室の婦人科より早く終わってしまった。ちょっとやりすぎたかもしれない。神田橋氏の論文にも、本人がやる気があれば、きちんと精神療法をやるべき、話も聞くべき、と書かれているではないか。
では、どの人が、「やるべき人」で、「聞いてはいけない人」なのだろう。プロなら自分で考えろ、という声が聞こえてきそうだ。私の精神科医としての修行は、まだまだ足りないらしい。とりあえずはっきりしたのは、これからは少し論文も読んで勉強しなければ、ということだ。
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