食品管理の教訓:安全管理安全・安心の仕組みづくり
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一方、1998年には業績が悪化し、破綻しかけたコープさっぽろ。経営改革を進め、猛烈なスピードで再建を果たした北海道の地域生協だ。完全な再建へ向けて、さあこれからという時に今回の事件。逆境をばねにして、今、生産者から消費者までのトレーサビリティ・システムを完成させようと、全力で取り組んでいる。食品における安全・安心の仕組みづくりこそ、消費者の信頼を勝ち取る唯一の方法だと信じているからだ。 そのコープさっぽろを率いる理事長の大見英明氏(図1)。見掛けは剛腕タイプではない。しかし、その判断力と行動力は、最新鋭の戦闘機みたいに精緻で切れ味抜群だ。コープさっぽろの取り組みは、消費者に対する素早い対応や、安全・安心を提供する具体的な仕組みづくりこそが、消費者の信頼を得る唯一最大の戦略であることを教えている。 ミートホープ事件での教訓 しかし、言わない(言えるわけはない)が、最も困惑し驚いたのは、再建の半ばにあり北海道の消費者と生産者を守ることに全力で取り組んでいたコープさっぽろだったかもしれない。食の安全・安心の改革に、食品のものづくりと流通システムの両面から取り組んでいたのだ。それなのに、信じていた食品の材料そのものを北海道の地場のメーカーに偽装されてしまった。寝耳に水どころか、氷入りの冷水を浴びせられた心境だったろう。 ここで、生協の仕組みを説明しよう。この事件を起こしたミートホープからの流通経路はこうだ。まず、コロッケの原料として加工食品会社に販売し、そこで製造されたコロッケを一括して日本生活協同組合連合会(日生協)が購入する。そして地域にある各生協が、日生協からCO・OP商品を仕入れて販売するのだ。地域生協は、各地域でそれぞれ独立した生活協同組合である。日生協がPB(プライベート・ブランド)メーカーとなることで、共同仕入れによる量的なコストの優位性を求める仕組みが構築されている。 コープさっぽろは、その日生協が販売する「牛肉コロッケ」を仕入れて販売した。包装パックには「CO・OP」の表示がある。消費者の多く、とりわけ生協会員は、その品質と安全・安心を信じて疑わない。 この場合、コープさっぽろは販売店の一つであり、メーカーから直接購入している日生協は商社色の強いメーカーともいえるだろう。CO・OPという共通ブランドを使う各地域生協は、日生協の共同仕入れによってコストと品質で優位になる(と信じて)食品を仕入れて売るのである。なのに、そのPBメーカーは偽装を見抜けず、結果としては、ミートホープへの責任転嫁で事態は締めくくられたように思えた。 しかし、生協という名であるが故に組合員である消費者からしかられ、地域の供給者へ単純に責任を転嫁できなかった、コープさっぽろ。まさに正念場に立たされた彼らは、本当の信頼を得るためには、すべてを自分たちで検証するしかないと決めた。それが今回のミートホープ事件から得た教訓だ。 疑わしきは使わない 中国の警察当局の公式見解は、ある意味では予想された。北京五輪を控えた中国としては、国策として非を認められないということだろう。しかし、生協がまたか、なのである。しかも対応といえば、当面は事件の解決を見守ることと、第三者委員会を設置することという程度。これでは、消費者はどう思うだろうか。 消費者もかわいそうだが、コープさっぽろも同様だ。連日、「CO・OP商品は毒入り」扱いで、マスコミに登場し続けている。誰も何も助言してくれないなら、コープさっぽろとして独自の判断をするしかない。理事長である大見氏はそう思ったのであろう。地域生協の経営者は、きっと誰もがそう思ったはずだ。しかし、ほかに遠慮していたのかどうかは定かではないが、どこもあえて先駆けては行動しなかった。 そんな中、大見氏の決断は単純明快だった。中国で製造した日生協のCO・OP商品の取り扱いを中止する、中国製のメーカーブランド(中国で製造した日本のメーカー品)を半減する、中国原料を半分以上使用する国産製品を半減する、そしてギョーザの原料をすべて北海道で調達すると宣言したのだ。北海道の生産者を後押しし、結果、日本の食料自給率に貢献すると、真っ先に記者発表したのである。その後、続々と同様な記者会見が、20都道府県以上の地域生協で始まった。 ものづくりだけではなく、流通小売りサービス、事業に「完全」はない。クレームや不祥事、問題や課題…とにかくトラブルはつきものだ。しかし、災い転じて福となす。この気持ちと真正面から取り組む姿勢が何より大切だ。逃げなければ、必ず光明が見えてくる。それは、ミートホープ事件の教訓を生かすことでもあるのだ。コープさっぽろは、原因究明を待つより消費者の不安を払拭することをまず優先させ、疑わしい原因を排除していく方針を真っ先に表明したのである。 (記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります) |
2009.12.16 記事提供 多喜義彦 日経ものづくり 2008年4月号 |