命綱の衛星電話守った…津波にのまれた事務局長

 東日本巨大地震の大津波で全壊した岩手県陸前高田市の県立高田病院のスタッフが、1台の衛星電話を手に、市内の別の場所に設けた仮設診療所で被災者の診療を続ける。

 「横沢伝声器」とスタッフが呼ぶこの衛星電話は、今月末で定年退職する予定だった病院事務局長の横沢茂さん(60)が、命をかけて津波から守った。有線電話や携帯電話の不通が続く中、薬品調達や救急患者の情報収集の〈命綱〉となっている。

 11日の地震発生直後、鉄骨4階建ての病院は入院患者や医師のほか、避難してきた住民ら100人以上であふれていた。「大きな津波が来るぞ」。数分後、あちこちで声が上がった。

 3階にいた事務員の冨岡要さん(49)は窓の外を見た。10メートルを超える大きな津波が迫っていた。1階事務室まで階段を駆け下りると、横沢さんが窓際に設置されていた衛星電話を取り外そうとしていた。通信衛星を介して通話する衛星電話は、地上の施設が壊滅すると使えなくなる携帯電話や固定電話と比べ、災害時に強い。

 「津波が来ます。早く逃げて下さい」。冨岡さんは大声で伝えた。横沢さんは「これを持って行かなければダメだ」と叫んだ。冨岡さんは駆け寄り、横沢さんから衛星電話を受け取って、屋上まで駆け上がった。病院が4階まで津波にのみ込まれたのは、その直後。横沢さんは行方不明になった。

 衛星電話は11日こそ起動しなかったが、屋上からヘリコプターで救助されたスタッフらが13日に再び試すと、回線がつながった。

 衛星電話で薬品や医療機器の融通を他の病院や業者に依頼。体制を整えた病院は震災4日後の15日、同市米崎町のコミュニティーセンターに診療所を仮設し、医療活動を再開した。22日も衛星電話が避難所の急患情報を得る唯一の手段だ。

 診療再開後は、毎日約150人以上が訪れる。高血圧や糖尿病の患者、地震のショックで眠れないと訴える人など様々だ。地震前から高血圧で通院していた菊池利義夫さん(83)は「こんな状況でも、きちんと薬を出してもらえる。本当にありがたい」と話す。

 横沢さんの遺体は21日、遺体安置所を捜し歩いていた妻の澄子さん(60)と長男の淳司さん(32)らが確認。22日、同県紫波町の自宅に帰った。横沢さんは県の病院事務職員として単身赴任で県内を巡り、2年前から高田病院事務局長になった。同僚たちは「患者の目線に立った柔らかい語り口で好かれていた」と口をそろえる。

 遺体と対面した澄子さんは、「お父さん、ご苦労さま」と心の中で語りかけながら、右耳についた砂を手でそっと払った。「患者のために忙しく、自宅への連絡まで気が回らないのでは」という祈りはかなわなかった。だが、今はこう思う。「皆さんのために役だったのは本当に良かった。本人も家に戻ってこられて、安心したでしょう」

 衛星電話には「事務局長さんが天国で手伝いしています」と書かれた紙が張られている。(天野雄介)

2011.03.23 記事提供:読売新聞