「漫画で医学的判断」の愚かさ
容易に得がたい原発事故との因果関係
岩田健太郎(神戸大学大学院医学研究科・微生物感染症学講座感染治療学分野教授)
雁屋哲氏原作の「美味しんぼ」における「鼻血」にまつわる描写が問題になっている。
雁屋氏が炎上マーケティングを狙って、ありもしない鼻血話をでっち上げたのであればこれは非難に値しよう。しかし、ぼくは80年代からの「美味しんぼ」の愛読者であり、彼の性格からしてそういうことはありえないと思う。本当に福島で取材をして、本当に鼻血や体調不良に苦しむ人に会って、彼の主観として「これは問題だ」と感じたのであろう。
その主観をもとに漫画を作る権利は、どんな漫画家にもある。だから、雁屋氏を非難するのは間違っているし、ましてや小学館を非難するのはお門違いも甚だしい。「スピリッツ」は所詮、エンターテイメント漫画雑誌であり、そこに科学的妥当性を要求する方がどうかしている。
「美味しんぼ」はもともと、「権威を鵜呑みにするな。自分の頭で考え、自分の舌で判断しろ」とバブル時代の日本人の食の問題にとりくんだ、反権威主義的漫画だ。それが長寿の人気漫画となり、いまや食漫画の代表格になり、自らが「権威」に祭り上げられてしまったから起きた悲喜劇だとぼくは思う。
風評被害、風評被害というが、たかが漫画に踊らされて健康・医学的な判断をしてしまう人々のほうがどうかしている。そっちをむしろ問題視すべきだ。漫画をバカにしているのではない。ぼくは自身漫画家になりたかったし、今でも大の漫画ファンなのだから。だからといって、漫画に医学的妥当性を要求するようなバカな真似はしない。手塚治虫の漫画には医学的な間違いや科学的なデタラメは多いが、かといってその漫画の価値が1ミリでも減じるものでもない。漫画とか、有名タレントのでるCMとか、みのもんたとか、そういうものを信じ込んでしまうリテラシーのなさが風評被害を生むのである。雁屋氏が風評を作っているのではない。風評は個人が作るのではなく、複数の人々が作り上げるものだ。それをむしろ問題とすべきだ。
松井英介医師は多くの被災者から「鼻血が突然出る」「せきが止まらない」「体がだるい」などの症状を聞き取り、漫画の内容はすべて事実だと主張したという。医者がこういうことを言う方が、はるかに問題だ。
多くの人が誤解しているが、日本の医者は決して頭はよくない。単に記憶容量が人より大きく、CPUが人よりも速く、「答えが分かっている問題に対する正しい解答を選び出す能力」が他人より優れているだけだ。すくなくとも、それが医学部に入学する要件である。「分かっていない問題」に対峙する能力は医学部入学とは関係ないし、医学部の多くは(残念ながら)その対峙方法を教えない。だから、質の低い臨床研究が跋扈し、原因の分からない症状にやっつけ仕事で対応する。熱が出た、という理由で安易に抗生物質を投与するように。
しかし、科学的である、ということは「分からないことに対峙する能力を持つ」とほぼ同義である。それは、自らの無知に自覚的であるソクラテス的懐疑であり、自身以外の存在を徹底的に疑ったデカルト的懐疑であり、「科学的であるとはこういうことだ」と断言できなかったヒューム的懐疑であり、自らの主張と真逆の主張を常につき合わせる弁証法的思考を説いたヘーゲル的懐疑であり、反証主義のポパー的懐疑である。「科学的に正しい」「間違っている」と主張する態度そのものが、もっとも非科学的なのである。
「多くの」というからには「多く」の基準が必要だ。「多い、少ない」は主観である。数字は客観だが、その価値の判断は主観だからだ。その主観に科学的妥当性をもたらすためには、ただ被災者の声を聞いて「多かった」というだけではだめである。具体的に何人に取材して、何人のどのくらいの健康被害があるのか、量的に吟味する必要がある。というか、中日新聞の記者もそれくらいのつっこみを入れるべきだ。日本のジャーナリストはヘイスティーな解答ばかりを求め、健全な問いをたてるのは上手ではない。日本のジャーナリストは、日本の医者と同じくらい「頭が悪い」。
雁屋氏を批判する人は多い。政治家に特に多い。たかが漫画にこんなに政治家が噛み付いてしまうその政治性が、この問題をダークなものにしている。純粋な科学ではなく、「立ち場」が見解を決定してしまう。政治家たちはこの問題について口を閉ざすべきだ。
小泉進次郎氏は自分が何度も福島に行っているのに鼻血なんて出したことがない、と「美味しんぼ」を批判する。しかし、これも自らの主観、体験を根拠に科学的な主張をしてしまう、雁屋氏と同じ根拠の誤謬である。
福島の放射線が原因で鼻血がでるというのは医学的なプラウジビリティーが低い。しかし、医学的直観が間違っていることもままある。「ナッツを食べると死亡率が下がる」なんて話は直観的には信じがたい話であるが、実際に検証してみるとそのとおりなのである。だから、医学的直観だけを根拠に断定的な判断を下すのは、やはり医学・科学的態度ではない。
したがって、この問題について本当に真剣に取っ組み合いたいのであれば、雁屋氏を擁護したり罵倒するのではなく、まずは沈黙し、そして検証するのが科学的に妥当な態度だ。福島の人たちの鼻血などの健康異常の発生率を出し、それを放射線曝露のない地域のそれと比べる。それだけでは不十分だ。もしかしたら鼻血の原因は他にもあるのかもしれない。例えば、「風評被害のストレス」とか。だから、鼻血の出た人物とそうでない人物の内部被曝量を比較するなど、因果の妥当性をさらに深く検証する必要がある。
それでも、真の因果関係というものは、ヒュームが看破したように、容易には得難いものなのである。それが、福島第一原発事故の健康被害を吟味する最大の困難なのである
引用:m3.com 2014年5月16日(金)
福島の甲状腺がん50人に 子ども37万人調査 1巡目の検査終了
福島県の全ての子どもを対象に東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べる甲状腺検査で、対象者の約8割の結果がまとまり、がんの診断が「確定」した人は県が今年2月に公表した数より17人増え50人に、「がんの疑い」とされた人が39人(前回は41人)に上ることが17日、関係者への取材で分かった。
検査は県内の震災当時18歳以下の約37万人を対象に県が実施。今年3月までに1巡目の検査が終わり、4月から2巡目が始まっている。
チェルノブイリ原発事故では4〜5年後に子どもの甲状腺がん増加が確認された。このため県は1巡目の結果を放射線の影響がない現状把握のための基礎データとし、今後、2巡目以降の検査でがんが増えるかどうかなどを確認、放射線の影響の有無を調べる。
1巡目では、1次検査として超音波を使って甲状腺のしこりの大きさや形状などを調べ、大きさなどが一定以上であれば2次検査で血液や細胞などを調べた。3月までに約30万人が受診、全対象者の約8割に当たる約29万人分の1次検査の結果がまとまった。
2070人が2次検査に進み、がんと診断が確定した人は50人、疑いは39人だった。手術で「良性」と判明した1人を加えた計90人は、震災当時6〜18歳。このうち34人は、事故が起きた2011年3月11日から4カ月間の外部被ばく線量が推計でき、最も高い人は2・0ミリシーベルト以上2・5ミリシーベルト未満で、21人が1ミリシーベルト未満だった。
国立がん研究センターによると、10代の甲状腺がんは100万人に1〜9人程度とされてきた。一方で、環境省は福島県外の子どもの甲状腺検査を実施し、約4400人のうち、1人ががんと診断。「福島と同程度の頻度」として、福島での放射線の影響を否定している。
※甲状腺がん
甲状腺は喉にある小さな臓器で、成長などにかかわるホルモンを分泌する。原発事故で出た放射性ヨウ素が呼吸や飲食を通じて体内に取り込まれると甲状腺にたまりやすく、内部被ばくしてがんになる危険性が高まる。特に子どもが影響を受けやすく、1986年のチェルノブイリ原発事故後、周辺では子どもの甲状腺がんが急増した。早期に治療すれば高い生存率が期待できる。
引用:共同通信社 2014年5月19日(月)