ベトナム戦争中、南ベトナム解放民族戦線が拠点とする密林を破壊するため、米軍が1961年に初めて枯れ葉剤を散布してから10日で50年。
71年まで10年間、計約2万回散布された枯れ葉剤には、発がん性や催奇形性が指摘される猛毒ダイオキシンが含まれていた。戦争終結から36年を経た今も、世代を超えて障害児が生まれ、環境汚染も続いている。
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首都ハノイの南東約80キロ。北部タイビン省からは戦争中、45万人もの若者らが南ベトナムの前線に送られた。戦後、故郷に戻った人々の間で健康被害が多発。被害者数は現在約1万9千人に上るが、うち3千人は先天的な奇形・障害児を含む子どもや孫の世代だ。
67年から中部クアンチ省や南部タイニン省で戦い、枯れ葉剤を直接浴びるなどしたタイビン省ソンアン村の農業グエン・チュン・ティエンさん(52)は74年の帰郷後、呼吸障害や頭痛に悩まされるようになった。
悲劇は続いた。長男(34)は軽い脳障害。三男のハーさん(28)は重度の脳障害に加え、両手足が細く曲がったまま。次男(32)に異常はなかったが、その長女オアインちゃん(6)は生まれつき肛門がなく、脳障害も抱える。
「障害のある子を持ったときはむろん悲しかった。オアインが生まれた後は怒りを体の中にずっと抑え込んで暮らしてきた」。床に座り中空をにらみながら体を揺すり続けるハーさんを抱きしめ、ティエンさんはつぶやいた。「次の世代、次の次の世代にも、どんな障害が出るか分からない」
枯れ葉剤被害者協会タイビン支部のグエン・ドク・ハイン会長は「銃で殺すのは一瞬だが、枯れ葉剤は長い時間をかけた大きな痛みを伴う殺人だ」と指摘。「医学的証明はないが、ダイオキシンが遺伝子を傷つけ、世代を超えて影響を及ぼし続けていく」と訴える。
タイビン省内の第3世代の被害者は約80人。第4世代にも被害が強く疑われるケースが報告されているという。
政府や同協会は全国規模の被害調査を行うが、資金不足もあり全容解明はまだ。被害者や家族の多くは貧しく、政府の支援金も最多で月170万ドン(約7千円)程度。米政府は責任を認めず、被害者への賠償は一切していない。
同協会は被害者の苦しみを少しでも和らげようと省都タイビンに今年、国際非政府組織(NGO)の支援を得て全国初の被害者向けの「解毒センター」を開設した。
ビタミン投与やサウナ、軽い運動などを組み合わせた25日間の民間療法で、年初から100人以上を「治療」。腫瘍や手足の震えなどに苦しみ、入所したダオ・ニャットさん(65)は「震えが止まり、関節などの痛みも随分減った」と話す。
協会は、今後ハノイや中部ダナンなど3カ所に同様の施設をつくる計画だ。(タイビン共同)
※枯れ葉剤被害
米軍はベトナム戦争中、南ベトナム解放民族戦線の拠点や北ベトナムから南への補給路となった密林地帯を狙い、枯れ葉剤約8千万リットルを空中から散布、その6割が「エージェント・オレンジ」と呼ばれる種類だった。
1961年の試験散布後、62年から本格作戦が始まり、71年まで散布は続いた。枯れ葉剤に含まれていたダイオキシンの総量は366キロ。散布地域では、がん患者や先天性異常児、流産、死産などが多発、米国の帰還兵などにも被害が出た。ベトナム枯れ葉剤被害者協会によると、枯れ葉剤にさらされたベトナム人は480万人、被害者は子どもや孫の世代も含め300万人以上に上る。
※ダイオキシン
強い毒性を持つ有機塩素化合物の総称。発がん性のほか、生殖器官などに悪影響を与える内分泌かく乱化学物質(環境ホルモン)としての作用も指摘される。最も毒性の強い2・3・7・8-TCDDが、ベトナム戦争で米軍が散布した枯れ葉剤の多くに製造時の副産物として含まれていた。水には溶けにくいが脂に溶け、環境中で分解されにくく土壌などに長く残る。
飲食や呼吸、皮膚を通して人体内に入り、肝臓や脂肪などに蓄積され、母乳を通じて母子間でも移行するとされる。動物実験で毒性は青酸カリの千倍とされるが、人への毒性は詳しく分かっていない部分が多い。
喫煙すると、タバコの煙にも多く含まれ、周囲の環境を汚染し、分解されないので、蓄積する。