カルシウムは面白い物質ですね。生体内では骨として体を支えているけれど、その一方、骨は貯蔵庫でもあってカルシウムが必要に応じて溶け出します。筋肉の収縮にかかわっているし、情報伝達にも関与します。ありふれた物質なのに、こんなに多様に使われているのはなぜでしょう。
同じ二価のイオンだったらバリウムだっていいわけです。バリウムも固まるから骨格だってできたかもしれない。たぶん進化の過程でカルシウムと結合するたんぱく質が、かなり早い段階で現れたんでしょう。
ほとんど知られていなかった細胞内部の情報伝達に、カルシウムを放出させる機能を持つ分子が関与していることが分かったのは、小脳の異常でふらふらと歩く、突然変異マウスを使った実験からでした。
マウスを調べると、本来は小脳にあるはずのたんぱく質が欠けていることがわかりました。これが細胞内でカルシウムの放出を制御するたんぱく質でした。細胞内にはカルシウムを蓄えている袋があって、そこからカルシウムを放出して様々な情報を伝えている。
例えばライフサイクルの開始である受精は、精子が卵に1つくっつくと、カルシウムイオンが波のように広がってほかの精子が入れなくなる。次いで卵の分裂も引き起こします。小脳にあるたんぱく質は卵の中にもあって、カルシウムの放出に関与しています。
同じたんぱく質によるカルシウムの放出が、カエルでは背中とおなかをつくる時にその位置を決める要因でした。このたんぱく質の遺伝子欠損(ノックアウト)マウスをつくると、小脳が関係する運動ができないマウスが生まれます。異常な動物の研究で様々な機能が制御されていることが分かってきました。
突然異変やノックアウトマウスを使い、異常から正常を調べるとことは今や主流です。昔は「正常をきちんと解析すればいい」という考えの人が多く、「突然変異体ばかり解析している」と批判も受けましたが、こうした生命現象のウラから本質が見えるんです。
この手法には限界もあります。特定の機能を持つ分子の存在は分かっても、それが細胞の中でどんな風にふるまい、動いているのかを観察することは難しい。
こうした分子の動きを視覚化、つまり目で見えるようにするのが今後、目指す方向になっていくと思います。例えば、特定波長の光を浴びると発光するクラゲがいますが、この光るたんぱく質の遺伝子を、調べたいたんばく質の遺伝子につないで発現させてやる。顕微鏡下で細胞を見ると光っているから動きが追えるわけです。方法はいろいろあって蛍光色素を使う人もいます。映像を記録するのも難しくないでしょう。
どうしてそこまでするのか。細胞の中は、森のようなものです。木々が立ち並ぶように障害物がいっぱいある。分子はまっすぐ動けないでしょう。それにカルシウムが結合するたんぱく質だけ考えても、細かく見ていけば100は下らない。全部がワーッと一斉に動くわけじゃない。どの分子がどこにいて、どの時点で何とくっつくか。厳密なしくみがきっとある。
生きた細胞の中のダイナミックな変化を目で見るしかけが作れたら、生命にかかわる研究に大きな影響を与えると思います。いろいろ考えられますが、脳研究に応用したい。神経系のでき方がわかってくるでしょうし、脳の病気への対処の方法も、おのずと見えてくるのではないでしょうか。脳細胞の中で情報を伝える物質の動きが見えれば、記憶、学習とか、思考といった高次機能をきちんと理解できるでしょう。
【2010年】脳細胞内の視覚化が進んで記憶や学習の原理が分かる
御子柴 克彦(53) みこしば・かつひこ
東京大学医科学研究所教授(神経生物学)
1945年生まれ。慶応大学医学部卒。92年から現職。専門は分子神経生物学。97年から理化学研究所脳科学総合研究センターの発生・分化ディレクターを兼任している |
(聞き手・笹越 徹)
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