長寿命の人工股関節登場 再手術の課題克服か
体になじむ素材使用 「医療新世紀」
変形性股関節症や大腿(だいたい)骨頭壊死(えし)症、関節リウマチにかかると、脚の付け根が痛み、関節の動きが悪くなって歩行が困難になる。その有効な治療法の一つが、樹脂や金属、セラミックスなどでできた人工関節を、障害の起きた関節と入れ替える「人工股関節置換術」。国内では年間約4万件の手術が行われている。
しかし人工関節には年月がたつと「ゆるみ」が生じ、患者によっては10〜20年で再手術が必要になるという大きな弱点があった。今春、生体になじみやすい素材を使うことでこの課題を克服し、長寿命化が期待できる人工股関節が厚生労働省の承認を受けた。10月以降に発売される予定で、患者の負担軽減やQOL(生活の質)向上につながりそうだ。
▽摩耗粉に反応
1996年、東大病院(東京都文京区)に千葉県の女性(64)が救急車で運ばれてきた。女性はその7年前、変形性股関節症のため同病院で人工股関節置換術を受けていた。術後数年は自宅近くの病院を定期的に受診していたが、調子が良かったため、その後は放置していたという。
女性は痛みを訴え、歩けなくなっていた。検査の結果、人工関節の部品を固定した骨盤の一部が溶け、土台を失った部品が骨盤内に移動してしまったことが判明。再手術で人工関節を入れ直す必要があると診断された。
なぜ骨が溶けたのか。「人工関節では骨頭ボールという部品が、おわんの様な形の寛骨臼(かんこつきゅう)ライナーの内側に接触しながら動く。すると、摩擦で材料の摩耗粉が発生する。摩耗粉を異物と認識した免疫細胞などが反応し、人工関節の周囲の骨が溶ける『骨吸収』という現象が起きる」と、高取吉雄(たかとり・よしお)・東大特任教授(股関節外科)は解説する。
▽細胞膜の構造
骨吸収により、しっかり固定されていたはずの人工関節の周囲に隙間ができる。これが「ゆるみ」だ。海外のデータによると、70年代に人工股関節を入れた人の10〜20%が10年以内に交換を余儀なくされている。交換理由の75%がゆるみだったという報告もある。
以前より成績は向上したが、ゆるみの問題は今も解決していない。再手術の対象者の多くは高齢で、体の負担は大きい。「もっと長持ちしないのかと患者さんに尋ねられる。平均寿命の長い日本では特に大きな課題だ」と高取さんは話す。
そこで注目したのが、同じ東大の石原一彦(いしはら・かずひこ)教授(マテリアル工学)が87年に大量合成法を開発した「MPCポリマー」という材料。生体の細胞膜と同じ「リン脂質構造」を持ち、体内に入れても血液凝固などの反応が起きない。「体になじむ特長を生かし、人工心臓やコンタクトレンズなどの表面処理にも使われている」(石原さん)
▽膝にも応用
学内の共同研究やメーカーとの連携により、樹脂製の寛骨臼ライナーの内側を、厚さ約100ナノメートル(ナノは10億分の1)のMPCポリマーの層で被覆した製品「アクアラライナー」が生まれた。
その表面は潤滑性が極めて高く、MPC処理をしない製品に比べ摩擦が約10分の1に低減。1日5500歩で15年間歩いた場合を再現した実験では、未処理の製品より摩耗粉が99%も少ないことが分かった。たとえ摩耗粉が発生しても生体から異物として認識されず、骨吸収が起きにくいことも動物実験などで確認。臨床試験(治験)でも安全性や有効性に問題は無かったという。
「安全で長持ち。医療費の削減にも貢献できる」と高取さん。一緒に研究する茂呂徹(もろ・とおる)特任准教授は「人工膝(しつ)関節の手術も国内で年間約7万件に上る。リクエストが多いため、股関節と同様の実験をして開発を進めている」と話し、今後の応用拡大に意欲を示して・「る。